なぜ言葉にすることは大切なのか?私が子どもの運動会で学んだこと

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昨年(2023年)、新型コロナウイルス感染症が5類に変更され、戻ってきた日常に喜びを感じている人も多いかと思います。

やっぱり皆でワイワイするのって楽しいですね。

 

この季節、皆でワイワイする行事といえば”運動会”ですよね。

子どもたちも残暑どころではないこの暑い中、熱中症で倒れないように気をつけながら練習に励んでいます。

勉強に運動にと、子どもたちは子どもたちで頑張っているんですよね。

そう考えると、「勉強しなさい!」「部屋を片付けなさい!」等々と、あまり言い過ぎるのも気をつけないといけませんね。

 

我が家は息子と娘の一男一女。

もう大きくなったので、(親が参加する)運動会は過ぎ去った行事ですが、思い起こしてみると、息子・娘ともに記憶に残る出来事がありました。

二人とも起こった出来事は全然違うんですが、共通していたのが『言葉にして相手に伝える』ということでした。

 

今回は、相手にしっかりと言葉にして伝えるということの大切について、我が家の運動会の出来事を交えながらお話していこうと思います。

言葉にして伝えるということの大切さを学んだ息子の運動会

息子の運動会で忘れられない出来事があったのは、小学1年生の(小学校での)初めての運動会でした。

 

幼稚園までは、運動会当日、親子で登園して、終わると一緒に帰宅するという流れでした。

その流れが3年間続いたということもあり息子は、『(運動会は)親は最初から最後までいるもの』と思っていたようです。

 

しかし、小学校は朝、班で登校。

また、我が家というか私の場合は、運動会のプログラムをチェックし、息子や娘が出る競技に間に合うように学校へ行くという流れにしていました。

というのも、我が家の運動会は、盆?正月?というぐらい賑やかで、私の両親に義理の母、私の妹に弟家族、そして私と、結構な大人数で参加してたんです。

そのため、お弁当作りが超大変!

前日から仕込み、朝も早くから作り、それを重箱に詰め…と、毎年私も自宅で一人運動会をしていました(笑)

そのため、私は開会式には間に合わず、代わりに私の家族は開会式からいるというパターンがほとんどでした。

 

『運動会は親が最初から最後までいるもの』と思っていた息子。

しかし、いくら周りを見渡しても親(私)がいない。

それが息子の中ではかなり不安というか悲しかったみたいです。

 

そんなこととは全く知らない私。

息子の(小学校での)初めての運動会の競技、『玉入れ』になんとか間に合うことができ、息子を見つけ、声を掛けるも、なんだか様子がおかしい。

先についていた私の妹に

「ねぇ、あの子、何かすねてない?」

と尋ねると、

「何か、お姉ちゃんが開会式からいなくてショックだったみたいだよ」

と教えてくれました。

『私がいなくて寂しいなんて、なんてかわいい息子なんだ(T^T)』と思うのと同時に、私は息子の名前を連呼し、必死に応援しました。

 

そして、お昼の食事の時に息子に

「ごめんね。開会式はおらんでね。◯◯(息子)が出る競技に間に合うように行くでねって、最初にちゃんと言っておけばよかったね。ごめんね」

と伝えたところ、最初…しばらくは口を聞いてくれませんでしたが、運動会が終わる頃にはなんとかいつもどおりの関係に戻ることができました。

 

今回、私的には『私の家族(息子にとってはおじいちゃんやおばあちゃん、おじさんやおばさん)がいるから、最初から私がいなくても大丈夫だろう』と思っていたんですね。

しかし、これが失敗でした。

息子も、『最初はおじいちゃんやおばあちゃんたちだけだけど、途中から親(私)が来る』って聞いていればすねなかったと思うんですが、知らずに運動会が始まり、それを後で知ったこと。

これがダメでした。

『言わなくても大丈夫だろう、分かるだろう』ではなく、ちゃんと言う・伝えることの大切さについてこの時学びましたね。

言葉にして伝えるということの大切さを学んだ娘の運動会(の練習)

娘の場合は、幼稚園の年長さんの運動会の練習の時でした。

 

年長さんになると”バトンリレー”があるんですが、これは年長さん、大きい組しかやれない競技のため、園児たちにとっては憧れの競技なんです。

そのため、子どもたちにもおのずと”力”が入ります。

練習では、走る順番やバトンの渡し方等を子ども達なりに考え、作戦を立て、それを実行してを、何度も繰り返し本番を迎えます。

その練習での出来事でした。

 

実践として、他のクラスと本番さながらの勝負をしたんですが、結果として娘のクラスは負けてしまいました。

その負けた原因が娘にあると言われたんです。

その理由が、

「◯◯(娘)は笑って走ってた。真剣にやってない!」

「◯◯(娘)が笑って走るから負けたんだ!」

というものでした。

 

一見正論に聞こえますが、娘は笑って走っているつもりは全くありません。

もちろん、真剣に、誰よりも一生懸命走っています。

そのため、そんなことを言われた娘はショックが大きく、泣く….のではなく、

「こういう顔なの!真剣になればなるほどそう見えるの!しょうがないじゃん!」

と、怒り狂いました!

娘がそう言うと、周り(クラスの子)は最初びっくりしていましたが、すぐにそのことが真実・本当だということを感じ、「ごめん」と謝っていました。

一生懸命走っているかどうかなんて、よ~く見ればわかりますからね。

 

この、娘の『笑って走ってる事件』は、幼稚園の年長さんの時だけでなく、その後も様々な場面で指摘され、そのたびに娘は

「こういう顔なの!」

と、怒り狂っていたようです。

でも、ちゃんとそう伝えることで、皆すぐに分かってくれたそうです。

 

うちの娘のように、世の中には、顔や仕草、態度などで誤解される人、されやすい人がいます。

誤解されてもそれほど問題にならなければ別にいいんですが、今回のうちの娘のように、『真剣にやっているのに真逆に捉えられてしまう』といった場合等は、周りや相手にちゃんと言う・伝えるということが大切です。

“間違って伝わっていることは正しく伝え直す”ということの大切さについてこの時学びましたね。

まとめ

今回、起こった出来事は全く違う息子と娘でしたが、相手にちゃんと言う・伝えるということの大切さを子どもたちから学びました。

「いつまでもゲームしてるんじゃない!」

「もう早く寝なさい!」

「いつまで寝てるの!」

などなど、私も何度も何度も子どもたちに伝えてはいるんですけどね。

伝えるって難しいですね(ーー;

 

あっ、ちなみに、息子の運動会の時と同じ過ちを繰り返さないよう、娘には事前に、

「運動会の開会式はお母さん行けないからね!でも、ちゃんと競技からは観るからね!」

と約束し、無事、運動会当日を迎えることができました。

子どもだけじゃなく、親も成長しなきゃですからね♪

 

あと、今回の運動会もそうですが、子どもたちと様々な出来事があるたびに

「(この時って)自分の親もこういう風に思ったのかな?」

「(◯◯[イベント])ってこんなに大変だったんだ。うちの親もそうだったのかな?」

などなど、親の大変さに気づくことができ、改めて親に感謝することができました。

うちの子どもたちにも、そんな日がいつかくるのかな?

 

親になるって大変だけど、それ以上に子どもから”かけがえのないもの”をたっ~~くさんもらえます。

子どもからの「ありがとう」を求めすぎず、親からも「ありがとう」を言わなきゃですね。

子どもがだいぶ大きくなった今、なかなか面と向かっていうのは恥ずかしいけど、今度、ちゃんと言葉にして伝えようと思います。